2014年 05月 12日 ( 1 )


自治体という家族

 
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長尾川下流にかかる、通称『めがね橋』。長さ28㍍、幅4㍍の石造りアーチ型のこの橋は、明治21年3月竣工ということですから、130年近く昔ということになります。

 村民の寄付金399円40銭と、地元の石工さんによって完成したということですね。材料の石の殆どは、近くの海岸の『みずるめ』の石を切り出したものだそうです。この金額は、当時の60キロの俵3百俵に当たるそうですが、維新後20年足らずで、今と違って現金収入のあまりない時代でしたから、皆さんの心意気が並々ならぬものだったと分かります。

 戦後、100㍍下流に現在の長尾橋ができるまでは路線バスや戦車も通りましたから、安房中や安房高女に通った人は、毎日この橋のご厄介になっていたのですね。

 その後『日本の名橋百選』 や、千葉県指定の有形文化財に指定され、20年前から7千万円をかけて大規模な修復をし、大事を取って徒歩でだけ通れるようになっていますが、付近も公園風に整備されて、カメラ自慢の観光客も訪れる名所になりました。今の季節は、地元の青年たちによってこいのぼりが泳ぎ、暮れから正月にはイルミネーションが輝き、インターネットで紹介されるなど、ちょっとした名物になっていますね。

 また明治5年には、今のような学校制度が発令され、それまで寺子屋として使われていた川下の観乗院《かんじょういん》や、のちに紫雲寺と合併した、本郷の西福院《さいふくいん》などを仮校舎として、『滝口尋常小学校』 が発足しました。 その後手狭《てぜま》になり明治29年に学校を新設しましたが、この時の費用も村民の寄付で賄われたと聞いています。

 その頃の政府には、地方に回すお金の工面などとても出来なかったという事情はあったはずですが、自分たちのことは自分で賄《まかな》うという気概が住民にあったからだと、私は思っています。 

 戦後の日本は世界一の貧乏な国になりました。外国に売って稼ぐような天然資源がない日本は、働くことでしかお金を集める方法がありません。そして…、気付いた時には勝った国々を差し置いて、経済大国になっていました。而も世界の、殊に有色人種の国の信用は一番です。

 何故でしょうか。

 「汗を流して働くことが好き」、「約束は必ず守る」などなど、当たり前と私たちが思っていることは、世界では当たり前ではないという証拠が、日本が経済大国になった理由なのですね。

 さて、新しい南房総市ができて今年で8年目になります。国は広域の合併を進めるため10年を区切って、財政的なあめ玉の優遇制度を作りましたが、あと2年で約束の10年目になります。先日の『房日新聞』によると、その時南房総市は日本一の貧乏な市になると書いてありました。

 先月、市長・市議会議員の選挙がありました。無投票三選の市長さんと、20人の新議員さんに選挙管理委員長として当選証書を手渡す式に出ましたが、「皆さんの任期半ばにはその10年目の正念場が来ます。風光明媚な南房総市を、子孫にしっかりと誇りを持って手渡すために、毎日が選挙運動と思い、住民の先頭に立って励んでください。」と、異例のお願いをしました。

 「白浜には市営のバスが来ない」、「合併して不便ばかり多くなった」、「白浜はいつもおいてけぼりだ」「まだまだ無駄が多い」と不満が多いことは、私とて百も承知しています。でも、まさか不仲の夫婦ではあるまいし、「いっそ離婚だ!」というわけには行きません。

 同じような意味で、南房総市は一軒の家です。市そのものが少しでも元気を取り戻してほしいと思った時、家族の私たちに出来る方法として『ふるさと納税』という制度があります。大ざっぱに言うと、気に入った自治体に寄付すると、確定申告の時、その金額の大部分が税金から差し引かれるという制度ですね。

 大声で言えない金額ですが、何年か前から私は寄付を続けています。今年は家族みんなにこの寄付をしてもらいたいと、役所から申し込み用紙を6枚貰ってきました。明治のご先祖たちを見習って、みんなが分に応じて肩を入れれば、温暖で素晴らしい自然の風光明媚な南房総に若い人たちが増え、子供たちの賑やかな声が溢れ、観光で訪れた人たちも、もう一度来たいと思うようになるでしょう。 

by oantaka | 2014-05-12 20:52 | さざえのつぶやき
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日が山の端にかかる残り少ない時間。思い浮かんだあれこれの独り言です。


by pantaka
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