しのべのタケノコ
占領軍の意向に沿わない部分を墨で消した教科書で勉強しましたが、先生も食料同様払底していましたから、今考えるといい加減な先生も沢山おられたような気がします。
上田敏訳、カールブッセの詩「山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う」は「さち住むと…」でした。
数学は、野島崎灯台の職員の吉田先生が教えに来ていました。
海上保安庁の職員が先生をしていたわけですが、理科や数学が面白くなったのはこの先生のおかげです。
卒業してからも、先生の官舎に時々泊まりに行きました。
煮炊きはニクロム線の電熱器でしたが、最先端の文化生活ってこういうものかと実感したことを憶えています。
その吉田先生には、石廊崎の灯台に出向していた頃、周りの竹やぶのタケノコや、断崖の下の海で捕る魚や磯のものが、美味しいおかずになるなどの、近況を伝える葉書を時々貰いました。
吉田先生はその海で潜っている時、心臓麻痺で急死したと級友に教えられました。
お歳は多分25歳ぐらいだったと思います。
しのべのタケノコが生える今ごろ、ほろ苦く辛い想い出とともに、油炒めのタケノコを一品作ってもらい、あの頃に思いをはせます。
明日は梅雨入りの気配。
“雨後の筍”が沢山生えるのが楽しみでもあります。
by oantaka
| 2014-06-04 20:13
| さざえのつぶやき