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在宅ホスピス医の“仕事の流儀”

  東京の下町、墨田区の表通りに「もうこれ以上治療の方法はありません。」と宣告され、永年住み慣れた自宅でお迎えを待ちたいという、ガン患者の希望に応えるための『在宅ホスピス医』のクリニックがあります。

 医師看護師20人の先頭に立って、毎日患者さんを巡回するお医者さんのお話です。

 毎年500例のガンの手術をこなしてきた腕利きの外科医が、自分が結腸ガンにかかり生死の境から生還した時、ガンの切除は出来てもその人の命が念頭になかった自分に気付き、術後の体力の衰えも考えて、安心して死を迎える手助けをする在宅ホスピス医の道を選んだそうです。

 「私が来たからには、痛みや息苦しさやだるさは無くしてあげるから、もう少しも心配は要りませんよ。」と薬を投与するだけでなく、どうすれば介護する家族の負担を減らすことが出来るか、ということまで配慮して、結果的にその患者さんの精神的な負担をなくす方法まで考えている様子が、手に取るように分かります。

 生活保護を受けながらアパートに一人で暮らす人には「誰もいないところで死を迎えるなんて、こんな寂しいことはないはずだから。」と、ヘルパーセンターに依頼して24時間交代で最後の時を迎える手はずを整え、死亡の連絡を受けるとわざわざ出向いて霊柩車を見送っていました。
 
 家族で介護していた人たちには、「これから段々寂しくなりますからね。どんな些細なことでもいいから電話を頂戴。すぐに来ますからね。」といたわる言葉を忘れず、亡くなってから一年の節目には家族達を呼んで、誕生会のような集まりをして、朗らかな話をするなどその後の心のケアも忘れません。
 
 と、ここまで見てくると、これって我々坊さんの役割に随分食い込んでいます。
 「地域の頼りになるお寺」を目指して、誰もが気軽に利用できる納骨堂を整備し、ミニコミ誌を作り、お布施持ち出しのお葬式をしたり、遠くに住むお檀家のために墓参の代行をしたりと、色々実行してきたつもりでも、心の温かさという点でまだまだ負けてるぞと思い知らされた番組でした。

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# by oantaka | 2014-11-25 20:57 | さざえのつぶやき

再びパンドラの約束

 環境保護について数々の映画を発表してきたロバート・ストーン監督のこの映画。
 渋谷駅近くの映画館で観たときは、何ともメリハリのない面白くない作品…という印象でした。
 それでも、言いたいことは分かるような気がしたので、Amazonに予約して発売と同時にDVDを手に入れました。

 まず驚かされるのは、原発反対論の巨匠と言われる人たち、環境保護運動の巨頭スチュアート・ブランド、ピューリッツァー賞作家リチャード・ローズ、気候変動の専門家マーク・ライナースという錚々たる人たちが、今までの社会的地位を捨ててまで推進派に変わった勇気と説得力です。

 当然、現在も反対を続けるヘレン・カルディコット、ハービー・ワッサーマンという原発反対論者も登場しますが、我が国の反対論同様、国連のデータは信用できないとか、ご用学者が都合のいいことを言っているというたぐいの印象論しかいえません。

 映画の中では、新世代の一体型高速炉IFRの実験の様子が描かれています。
 すべての冷却電源が停まっても自分で安全に発電停止する施設で、多くの見学者の前で実験して見せます。
 この方式は、使用済みの燃料を再利用することが出来、やがては地上から危険な廃棄物を一掃することが出来ます。

 ところが、民主党が原発に反対と言う理由でオバマ大統領は開発停止を指示します。
 この政治的判断で次世代の原発は闇に葬られることになりました。
 
 文明の血液であるエネルギーは、特に世界の開発途上国ににとっての次世代原発は救いの神になるはずのものです。
 日本は資源の乏しい国です。
 この次世代原発の開発を推し進め、実用化することによって自国だけでなく世界にも貢献できることになります。
 
 その間、今ある原子力発電所のリスクを少なくして使い、耐用年数が過ぎたものから新しい施設の更新することがベターだと思います。
 
 福島の帰れない人たちのことは、植え付けられた“放射能怖い病”で、国連も問題ない放射線レベルと言っているのですから、あとは政治的判断の問題です。


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# by oantaka | 2014-11-06 11:58 | さざえのつぶやき

文化の日

今日11月3日は文化の日。

文化包丁に文化鍋、文化ホール…。
何だか高級めいて聞こえるけれど、本当は意味が良く分からないこの言葉です。

それはそれとして、この日本の国旗。
澄み渡る青空の元、くっきりと浮き上がる赤と白のコントラストの素晴らしさは、やっぱり世界一です。
何より、掲揚する時に上下の心配がないのは助かります。


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# by oantaka | 2014-11-03 17:38 | さざえのつぶやき

首相のFacebook

安倍晋三首相のFacebookから

〈「ページを繰る手が止まらない」
このドキュメンタリー「狼の牙を折れ」にはこの言葉が相応しいと思います。
左翼暴力集団が猛威をふるい、平然と人の命を奪った時代、敢然と立ち向かった人達がいた。その執念の物語でもあります。
朝日新聞の吉田調書報道が捏造であると最初に告発し、勇気を持って巨大組織に論戦を挑んだ門田隆将氏渾身の作品。
お薦めです。〉

昨年10月に出版されたこの本。Amazonを始めどこの通販サイトも在庫切れでしたが、仕方ないので注文しました。
 安倍さんの紹介文にある通り、『吉田調書』問題で朝日新聞の捏造に立ち向かい、遂に屈服させた硬骨のノンフィクション作家の渾身の力作です。

 それにしても、この1ヶ月でAmazonに注文した本。
オオカミが日本を救う 住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち 放射線医が語る福島で起こっている本当のこと 実見江戸の暮らし ルーズベルトの開戦責任:大統領が最も恐れた男の証言 歴史戦:朝日新聞が世界にまいた慰安婦の嘘を討つ パンドラの約束 大江戸生活事情 経済学は人々を幸福にできるか 原発再稼働で日本は大復活する、の10冊。

 最早活字依存症。二つの仕事の現役の身ではとても読み切れない分量だけれど、私がいなくなったあとでも十分に価値ある保存版。
誰かの役にたつことも、また楽しみです。 
 

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# by oantaka | 2014-11-03 08:15 | さざえのつぶやき

パラオ

大小200の島々からなるパラオ共和国は直行便で4時間、日本から真南に3,200キロ。
 太平洋戦争に敗けるまで、日本の委任統治領として多くの日本人が住んでいました。
 他の領土と同じように、ここでも病院や学校、電力や道路など、内地と同じように物心両面のインフラ整備に心を砕きました。
 我々は当たり前と思いますが、世界は海外領土にお金をかけません。
 現に戦後、日本に替わって統治したアメリカは、建前は兎も角、なんらパラオのための投資をしませんでした。

 1994年独立した時の初代大統領は、日系二世のクニオ・ナカムラさん。国民投票で選ばれた国旗は、青地に黄色の“月章旗”です。背景の色は太平洋の青を、真ん中の円は満月を表しているそうです。
 今でもデンワ(電話)デンキ(電気)センキョ(選挙)ダイジョウブ(大丈夫)などの日本語がそのまま通用し、中にはチチバンド(ブラジャー)などというのもあるそうです。未だにタロー、ジロー、アオキといった日本語風の名前が多いとか。
 言うまでもなく、バングラディシュと並んで“日の丸三兄弟”で、何れも大の親日国ですね。
 今でも、親しくなると「アメリカを追い出して、また日本とやろう」と、真顔で言うお年寄りがいるそうです。
 
 現地の人たちのことを如何に考えていたか、ということを象徴する出来事があります。

 ペリリュー島には本土防衛のための南洋最大級の飛行場があり、米軍はここを何とかしないと日本本土への攻撃が出来ませんでした。
 守る守備隊は中川州男(くにお)隊長以下12,000人でした。
 1944年9月15日、手中にあった制海権と制空権と圧倒的な物量と兵員を背景に、徹底的な空爆、艦砲射撃で丸裸になったペリリュー島に押し寄せました。
 アメリカの海兵隊員は「昼になったらビーチでパーティーしようぜ」という安易な感覚で、4万の兵力を以て上陸を敢行します。
 ところが迎え撃つ守備隊は、敵を水際に寄せ付けてから猛烈な砲撃と小火器で反撃し、50%もの損失を被り、一旦は撤退しました。

 けれども衆寡敵せず、敵が上陸を完了する11月27日までの73日間、良く持ちこたえましたが、守備隊長の中川大佐、師団派遣参謀の村井権治郎少将、飯田義栄中佐が割腹したことを確かめてから、玉砕を報せる「サクラサクラ」の電文を送信したのち、翌朝には残存兵力による敵前突撃をして死闘は終わりました。

 その後も生き残った将兵57人は遊撃戦を続け、山口永(ひさし)少尉以下34人が呼びかけに応じて銃を置いたのは、更に1年8ヶ月後の昭和22年4月21日のことだったということです。

 米軍が押し寄せる直前、陣地や飛行場の建設に働いて親しくなった現地の人たちから、「我々も一緒に戦いたい」と申し入れがあった時、中川隊長は「帝国軍人が貴様等のような土人と一緒に戦えるか!」と一喝して虎の子の船舶を手配し、安全なパラオ本島に退避させjました。
 この“裏切り”に悲憤慷慨しながら船を出した時、隊長以下日本兵全員が浜に飛び出して来て、日本の歌を歌いながら「達者でくらせよ〜」と見送りました。
 あの“一喝”はみんなを救うための方便だったのです。
 
 戦闘が終わって帰島した住民は、至る所に散乱している日本兵の遺体を収容し、丁寧に埋葬したということです。

 両陛下は来年、念願かなってこの島を慰霊訪問されるとか。
 昭和天皇はペリュー島の戦闘中、毎朝侍従に「ペリリュー島はどうか」とお尋ねになったそうですから、その思いは今の陛下にも伝わっているのではないでしょうか。
 
(写真は、スリランカのゴールデンビーチでパラオではありませんが、ま、海はつながってるということで)

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# by oantaka | 2014-09-22 08:18 | さざえのつぶやき
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日が山の端にかかる残り少ない時間。思い浮かんだあれこれの独り言です。


by pantaka
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